id:Iron-9さんの24日の日記をみて色々と考えさせられた。片手しかない人がいることは勿論頭でわかっているのだが、その人がゲームをするという状況はまったく思いつかなかった。というか考えてみると、確かに出来ないじゃないか。と思った。でもそれは、目が見えない人はゲームが出来ないという事と結局同じ事じゃないかとも思う。つまりこんな言い方はよくないが、ゲームをプレイする為の最低限のデバイスを有していないのだ。でも、片手を使えない人のプレイは絶対に無理な事なのか。
DSは、テーブルに置けば片手プレイは出来なくもない。タッチペン操作を主とするゲームは基本的に片手でも出来る。でも、やっぱり片方で持って片方で操作という使い方がまずあって、それでいて片手だけのプレイもできなくもない、としている気がする。そこに片手しかないプレイヤーへの配慮があるようには思えない。
なるほど深いな、と思う。そこに任天堂の配慮があったかはわからないが、多分レボリューションを使ったほとんどのゲームは片手で出来るものになると思う。それは勿論、子供から老人まで、そして片手しか使えない人でも出来ると思う。
レボリューションは片手でプレイ出来ますよと聞いた時、正直私はピンとこなかった。それは、既存のゲームは両手を使って沢山のボタンを操ってこそ喜びを得られるものだと言う固定観念に捕われていたからだと思う。DSを使って両親と、さらに祖父母の三世代でnintendogsを遊んだ時は本当に衝撃だった。あんなにもゲームに興味の無かった親や、そもそもゲームに触れた事のないじいさんばあさんが画面の中の犬を一生懸命愛でているところを眺めていたとき、タッチペンによる操作の簡易性というものの偉大さを知った。
そして今度はレボリューションで、きっと思い知るのだろう。何故今までのコントローラというものは両手で持たなければいけなかったんだろうと。